今回はオペラの「レチタティーヴォ」と、日本の曲の「語り」を比較してみた。
そもそもオペラとは
オペラというのは、声楽の主なジャンルの内の1つであり、簡単に言えば演劇と音楽・演奏を合体させたものだ。有名どころとしてはイタリア・オペラとドイツ・オペラがある。
「レチタティーヴォ」とは
そしてオペラには「レチタティーヴォ」というものがあり、これは劇中の歌うようにセリフを言う部分のことだ。
このレチタティーヴォによって会話が成り立ち、物語が進行していく。
ピアノが部分的に和音を鳴らして、演者が抑揚や表情、演技をつけながらセリフを言う。
何も知らずに見てる側としては本当にセリフをドラマティックに喋ってるように見える。
オペラの楽譜を見ると分かるが、実際にはセリフの部分にも逐一音符が書いてあり、音程や拍の長さがある程度決まっている。
「ある程度」と上に記したのは、YouTube等で海外のオペラを見ると割と拍の長さや音程が守られていないことがあるからだ。
よく言えばその所為でよりセリフが生きたものになり、演技が上手く聞こえるという側面もある。
一方で日本の、例えば音楽大学等で取り組まれているようなオペラでは、結構楽譜に忠実に進行している印象を受ける。
「語り」について
日本の演歌・歌謡曲、ポップスの中には所謂「語り」が存在するものがある。
ものによるが、歌がないイントロやアウトロ、間奏にあったり、普通に本来歌があるAメロやサビ等にあったりする。
基本的にこれらの音楽はあくまで単体の楽曲であり、演劇と結びついたりはしないが、曲によってはデュエットで会話をする形式のものや、言葉通り「語る」ものもあるだろう。
「レチタティーヴォ」と「語り」の比較
オペラが演劇と結びついているという側面も相まって、基本的にはレチタティーヴォはセリフであり、他の演者と会話するものである。そして音程や拍の長さがある。
一方で語りはセリフである場合もあるが、坦々と詩や文章を喋る、というものが多いだろう。
そして何より、語りは音程や拍の長さが決まっておらず、ある程度何小節間で言うかは決まっているとは思うが、1つ1つの言葉の長さや音の高さは決められていない。
どう語るかがレチタティーヴォよりも厳密に決められていないので、理論上結果的にはよりアドリブ色の強いものとなるだろう。
またオペラにはレチタティーヴォと普通に歌う部分が分かれているが、日本の曲では「普通に歌う部分」に「語り」が入っている場合があるというのも興味深いことだ。
あまり多くの例を挙げられるわけではないが、パッと思いつくものではamazarashiの「空に歌えば」なんかはCメロに該当する箇所に語りがある。また、MOROHAというアーティストの曲は曲全体を通して語りが多い。
まとめ
声は音程があるため歌という音楽的ツールにもなり得るし、言葉を表現できるのでコミュニケーションツールにもなり得る。
その為、音楽の中で歌とコミュニケーションを両立させようという流れも別に不思議ではない。
しかし、オペラと日本の音楽をくらべると、実際どのようなやり方で音楽の中に言葉を落とし込むか、という部分に若干差異があるのが面白いところだ。
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