学校に身を置いていた際に思い続けてきたことがある。
それはプリントや資料をもっとデータ化して配布してくれ!ということだ。
高校を卒業してみると、物凄い量のプリントや配布資料が家に残っていた。授業で使った問題やお知らせ、保険便りetc・・・。とにかくあらゆる紙が混沌としていた。教育における印刷コストは無視できるものではないし、個人的にも物の管理が苦手でプリント等を無くすことがあり、これくらいの内容なら紙で配らなくても良いんじゃないの?と思う事が多々あった。データにして配布すれば学校を休んで資料をもらってない子にも簡単に情報を共有できるし、かさばらなくてすむ。
時には紙媒体でないと書込みがし辛かったり、目に優しくなかったりというデメリットが生ずることもあるだろう。また、本や書籍に関しては電子よりも紙媒体の方が良い場合もあると思うので一概には言えないが。
もう一つ疑問を持ったのが、作文や小論文、履歴書等の手書きをしなくてはならないものだ。明らかにパソコンでやった方が良いような作業を手書きでやる場面が度々ある。
実際大学に入ってからのレポートや論文はパソコンで作業をするというのに、大学入試で行われる小論文が手書きであるのは受験者の何の能力を測っているのかが良くわからない。勿論小論文の試験時間も無限ではなく、限られた短い時間で自分の考えを述べなければならない中で、的確に文章を作らなければならないのは非常に難易度が高い。書いてる途中で日本語がおかしくなったり、一度書いた文字を消すのに時間がかかったりしている中で自分の実力を十分に引き出すことは難しい。大学側も恐らくは受験者の思考力や構成力、文章力等を見たいはずで、受験者は中途半端な力しか発揮できず、お互いに効率の悪いことをしているのではないか?と思っていた。
ここでパソコンを使った試験方法にしてしまうと個々人でタイピング速度やパソコン操作の慣れにおいて格差が生まれてしまうという反論もあるだろう。でも実際世の中ではパソコンが仕事や学業で使われている機会が多いのだからその部分に関してはしょうがない。だから学校教育の中でもっとパソコンの使い方に関する指導を丁寧に行うべきなのだ。
あ、そういえば学校の授業で先生が板書するのも効率が悪いと思っていた。ただ単に板書をノートに書き写すのではなく、板書の写真を撮るかあるいは先生がパワーポイントでも使って授業をしてそのデータを配布でもすれば、生徒も考える事だったりグループワークだったり他の事に時間を使えるのだ。ただ書き写すだけが勉強の手段ではない。
もっとデジタル化の風潮が広まって欲しい…。
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